David Harvey

授賞対象著書

Harvey, D. The Enigma of Capital: And the Crises of Capitalism, Oxford University Press, 2010 (邦訳:森田成也・大屋定晴・中村好孝・新井田智幸訳『資本の〈謎〉--世界金融恐慌と21世紀資本主義』作品社,2012年)

授賞理由

 受賞者デヴィッド・ハーヴェイは現在,ニューヨーク市立大学名誉教授であり,世界で最も貢献度の大きい経済地理学者として名声を博している。 同氏は経済にとどまらず社会・文化におよぶ該博な知識を駆使して,50年余にわたる研究生活の中で単著だけでも20 冊を超える著作を発表してきた。

 その研究は三つの系統に分類される。第一は経済地理学と都市社会学で,ハーヴェイの 本来の研究領域をなす。経済地理学では『地理学基礎論』,『正義・自然と差異の地理学』,『コスモポリタニズム--自由と変革の地理学』などの著作が挙げられる。同氏は主流派の理論・計量地理学の方法論的検討から出発し,後にマルクス主義的経済地理学を標榜するに至る。都市社会学では『都市と社会的不平等』,『都市の資本論』,『意識と都市の体験』,『パリ』,『反乱する都市』などの著作がある。特に最近では資本のアーバナイゼーションにより生み出された都市における階級闘争に焦点が当てられている。第二はマルクス経済学の理論的・実証的研究で,1960年代末から70年代にかけてマルクス主義に移行したハーヴェイは,『空間編成の経済理論』(1982年)において,「空間」の観点から資本主義の原論から帝国主義段階に至る体系を再構成してみせた。その知見は最近の『〈資本論〉入門』に生かされている。こうした理論的研究の上に,近年は『ニュー・インペリアリズム』,『ネオ・リベラリズム』,『新自由主義』などの著作において,新自由主義的なグローバル化が進む現代資本主義の現状分析を提出している。第三は,社会変革のための運動論である。 ハーヴェイは,初期の『都市と社会的不平等』以来,特に都市における労働者による社会闘争の運動に焦点をあててきた。そしてそれはマルクス経済学的探究の深化を通じて,自由主義的グローバル化そして資本主義システムそのものに対するオルタナティブを構築する運動論へと展開しつつある。

 同氏は,『〈資本論〉入門』などマルクス経済学の啓蒙書を世に送り出すとともに,自らの『資本論』講義を YouTube で発信し,世界的に多くの視聴者を獲得してきた。さらには自らも当初から学生運動,住民運動,労働運動にも積極的に関与してきており,実践面においても精力的な活動を繰り広げている。ハーヴェイの著作が翻訳された言語は 15 以上に 及び,今日,世界で最も影響力のあるマルクス経済学者であるといって過言ではない。

 授賞対象著書 The Enigma of Capital: And the Crises of Capitalism は,2010 年にハードカバーで出版され,アイザック・ドイッチャー賞を受賞した。その後,2011 年にペーパバック版が出され、イギリス『ガーディアン』紙の「世界の経済書ベスト5」(2011)に 選出された。

 概要は以下の通りである。本書の章別構成は、2008年サブプライム恐慌の現実記述から 資本の流れの閉塞としての恐慌への抽象化(1章),資本の流れを遮る障壁として貨幣資本の蓄積(2章),労働力と生産手段の購買,生産過程における自然,技術,組織,統制(3 章),市場実現と有効需要,信用創造と擬制資本(4章),資本主義発展の共進化論(5章),資本の流れの地理学(6章)と地理的不均等発展の政治経済学(7章),オルタナティブな構想と反資本主義的運動のあり方について(8章)となっている。

 ハーヴェイは前半(1~4章)で恐慌論を,実際の状況に即した現実分析を行うために上手く使うべき道具箱ととらえており,資本主義の原理を説明すべき体系的理論とは見ていない。それは,恐慌の「多原因論」を採用しているからである。恐慌学説には,景気上昇期の労働需要増大が実質賃金の上昇と利潤率の低下を説明する「利潤圧縮説(労賃上昇説)」,技術の機械化(資本集約化)が利潤率を低下させる「利潤率の傾向的低下説」,有効需要,特に消費需要の不足と資本独占化による停滞傾向が恐慌の原因であるとする 「過少消費説」の3つがあるが,これらは必ずしも相反する理論ではなく,それぞれ別の原因を説明するものとして同時に並存しうるとしている。

 現状分析としては,恐慌における環境的・金融的側面の重要性に着目しながら,現在の恐慌の直接の震源地は,信用制度と「国家 -金融複合体」の技術と組織形態にあると考える。その上で,恐慌の3学説をサブプライム恐慌の歴史的展開に合わせて適用していく方法に特徴がある。例えば,サブプライム恐慌が発生したのは,1970年代後半以降広がった新自由主義の下で労働に対する資本の優位が生じ,それが賃金抑制と有効需要不足を 引き起こしただけでなく,不動産ブームを牽引するために膨張した信用制度が急速に崩壊したからだとしている。このような説明に対しては,異なる恐慌論のアドホックな利 用ではないかという疑問も出されているものの,ハーヴェイは資本主義の原理的説明のなかに恐慌論を位置付けようとする理論的な体系構成をとらず,初めから「多原因論」 に立つことを明示しているのであるから,こうした現状分析の仕方はその当然の帰結だと 言えよう。

 本書の後半(5~8 章)で,ハーヴェイは自らの専門である経済地理学の知見の特長を生かした,資本主義発展の共進化論と地理的不均等発展論を展開している。著者の研究の独創性はこの部分にこそ強く現れている。ハーヴェイによれば,資本主義の基本原理は,「終わりなき蓄積」と「永続的な複利的成長」という二つの社会的 DNA によって形成されている。これらが一つのシステムを形成するために不可欠な,7つの活動領域(生産過程,技術, 日常生活の再生産,社会的諸関係,対自然関係,世界に関する精神的諸観念,社会的行政的諸制度)が存在する。7つの活動領域は相対的に自立しているが,資本主義の基本原理 を軸として相互に作用し合い,共進化することによって,歴史的過程と地理的過程の統一である資本主義システムを形成する。このような共進化理論は,資本主義の部門間と地理上の不均等発展の役割を強調する。資本の流れの連続性を遅滞ないし中断させる事情が一つでもあれば恐慌が発生し,資本の価値破壊が起きる。資本主義では,恐慌の原因となる制限が一旦は回避されても,またすぐに別の制限が登場するので,恐慌は決して解決され ない。今回も、サブプライム危機からグローバル金融危機・経済危機への発展において、 問題がアメリカから、とりわけEUの「弱い環」であるギリシャ等を中心に、EUシステム・ユーロゾーン危機に展開し、内容的には金融危機から国家債務危機へとあちこちにたらい回しにされただけであった。恐慌は貨幣,労働力,資本と同じように,資本主義の発展に必要不可欠だとも言える。

 8 章で示された,「共革命的」過程という反資本主義の構想と運動に関する見方もユニー クである。それは,7つの活動領域を横断し,各領域の変革と相互作用しながら全体としてシステムを変革していくものである。オルタナティブ思想と反体制的社会運動は出発点に止まらず,運動し続ける限り,どこから出発してもよい。むしろ社会的諸勢力間の同盟を構想することが至上命令となる。革命運動が作り出す空間に関する地理学的問題も重視されている。このように,ハーヴェイがマルクス主義とアナーキズムの同盟の可能性を示唆している点も興味深い。

 以上が,本書におけるハーヴェイのユニークな貢献である。本書はマルクス経済学に基づく同氏の研究を集大成した作品でもあり,経済理論学会ラウトリッジ国際賞を受けるのにふさわしい業績であると評価できる。