・Itoh, M. The Japanese Economy Reconsidered, Palgrave, 2000.
授賞対象図書はItoh, Makoto, Political Economy for Socialism, Macmillan, 238 pages, 1995、およびItoh, Makoto, The Japanese Economy Reconsidered, Palgrave, 153 pages, 2000である。
伊藤誠は、宇野弘蔵の恐慌論を発展させることから研究をはじめ、マルクスの恐慌論と信用論の形成史をふまえ、競争論的観点を徹底させた信用と恐慌の原理的規定を展開し(『信用と恐慌』、東京大学出版会、1973年)、日本において高い評価を得た。1974年から75年の在外研究において欧米で勃興しつつあるマルクス・ルネッサンスに注目し、その動きを日本に伝えるとともに、日本のマルクス経済学特に宇野派の経済学を積極的に海外に紹介し、欧米の問題意識に応える形で英文でも次々と論文を発表した。その後も現在に至るまで新しい問題意識を日本に伝えるとともに、日本のマルクス経済学の成果を世界に伝えることに貢献し、授賞対象図書を含め6点の英文著書を海外で公表し、それらはフランス語・オランダ語・ロシア語・中国語・韓国語、ギリシャ語にも翻訳出版されている。
伊藤の学問的な貢献は「価値論」、「信用と恐慌論」、「現代資本主義論」、「社会主義論」の4点においてみることができる。
価格を価値の形態、投下労働を価値の実体として峻別する宇野の価値論を引き継いだ伊藤は、いわゆる「転型問題」を解明する論理として、商品生産物に対象化された価値の実体とそれに対応する価値の形態としての生産価格、さらに生産価格を通じて取得される価値の実体の三者を立体的に関連付けることによって、方程式体系のみには還元できない資本主義的市場経済の機構の特質を明らかにした。また、負の価値と負の剰余価値、複雑労働の単純労働への還元についても、一定の解決を提示した(Value and Crisis, Monthly Review, and Pluto, 1980, The Basic Theory of Capitalism, Macmillan, 1988)。
信用と恐慌については、好況末期における投機の増大と信用機構が恐慌を引き起こす役割を初期から強調していたが、Political Economy of Money and Finance, Palgrave, 1999(Costas Lapavitsasとの共著)の伊藤担当章では、資本蓄積の動学における金融不安定性を強調したことが宇野派の功績であるとして、ポスト・ケインズ派の金融不安定化論をもその体系に吸収した。
現代の資本主義については、第2次世界大戦後の高度成長が崩壊したのは、労働と世界市場における一次産品の非弾力的な供給に対して資本が過剰に蓄積されたことに原因を求めた(The World Economic Crisis and Japanese Capitalism, Macmillan, and St. Martin’s, 1990)。授賞対象図書(Itoh 2000)では次の点を明らかにした。長期不況を通じての再編の過程で、情報技術を基盤として、1世紀にわたる資本主義発展の歴史の反転がもたらされた。資本蓄積が「軽小化」し、またその移動が弾力的となり、市場経済の競争的な再活性化とグローバリーゼーションにつながった。労働雇用がフレキシブルになり、労働組合が弱体化した。新自由主義が支配的政策潮流となり国家の役割が縮小した。新自由主義は単なる時代錯誤ではなく、現在の経済構造の変化(資本主義の逆流)によって基礎づけられ強化されている。
社会主義に関してもその基本的な問題を理解するのに宇野理論とその価値論を適用した。社会主義計算論争も価値論・転形問題論争と関連させて、労働価値論の視点から位置づけ直すことができるからである。たとえば、ランゲは新古典派の一般均衡理論と同様に試行錯誤によって社会主義経済において均衡価格に到達することができると論じたが、授賞対象図書(Itoh 1995)では、付加価値がすべて労働者に配分されるような社会主義的極大賃金を費用計算の基礎とするならば、労働時間に比例した価格体系が成立し、社会主義経済の価格体系の参照基準となりうることを示した。また社会主義経済における貨幣と信用についても、政治経済学の基礎理論を用いた説明を試みた。さらに旧ソ連や中国のような現実の社会主義の経済実態やその体制改革の意義を考察するさいには、段階論的手法が有効であることを明らかにした。結論として、唯一の社会主義経済モデルを押し付けることは正当化できず、社会的歴史的背景に合わせて様々な社会主義を構想・選択すべきであると論じた。これは旧ソ連圏の体制転換とともにその正当性を失ったとされる社会主義の構想の現代的可能性をマルクス経済学の理論的立場から再評価した貴重な学問的貢献である。
以上、伊藤誠は半世紀にわたるマルクス経済学の理論的探求において、宇野学派の立場にたちながらも、国内外の他学派・他のアプローチと積極的な交流をおこない、広範な業績を生み出した。その影響は国内にとどまらず、1980年の Value and Crisis以来の英語での出版活動によって、世界の政治経済学学界の共有財産になっており、すでに2012年には世界政治経済学会(WAPE)からも第1回Marxian Economic Awardも与えられている。その業績は経済理論学会ラウトレッジ国際賞を与えるのに最もふさわしいものである。