第10回経済理論学会奨励賞

今回の奨励賞の選考対象となった著作は、『季刊経済理論』に掲載された論文を含め、著書と論文合計11点であった。第10回経済理論学会奨励賞選考委員会は、慎重な審議のうえ、下記2名の著作が奨励賞に値するという結論に至った。以下にその選定理由を記す。

斎藤幸平会員の著作

『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』(堀之内出版、2019年4月)

村上弘毅会員の著作

(1) “Existence and uniqueness of growth cycles in post Keynesian systems”, Economic Modelling 75, pp.293-304, November 2018.

(2) “A two-sector Keynesian model of business cycles”, Metroeconomica 69(2), pp. 444-472, April 2018.

【選定理由】

 斎藤会員の著書は、MEGAの新資料を用いて、マルクスにおける環境思想の発展を詳細に跡付け、経済学批判の課題に関する解釈を刷新しようとする研究である。

 従来の関連研究は、超歴史的で静態的な物質代謝概念を基準として、マルクスにもエコロジー思想が存在したことを確認するにとどまる傾向があった。これに対し本書は、「素材的世界」が経済的形態との間の矛盾によって変容する動態的な過程を把握しようとする特殊資本主義的な物質代謝概念に、マルクスのエコロジーの核心を見いだす。その上で本書は、初期から晩期までのマルクスの諸著述および関連文献を渉猟し、彼の環境思想の発展を跡付け、彼の経済学批判にとってエコロジー思想は要に位置するとのテーゼを打ち出している。特に抜粋ノートの丹念な検討から、晩期マルクスにおける自然科学研究と環境思想深化との密接な関係を明らかにしたことは、本書の最重要な思想形成史的貢献である。これによりエンゲルスとの立場の違いが明確にされ、マルクス自身が『資本論』第3巻を完成させていれば「物質代謝の亀裂」を資本主義の中心的矛盾として位置づけた可能性があると指摘される。ただし晩年の環境思想の発展と『資本論』第1巻との関連性の指摘は、やや部分的で散発的なものにとどまっている。後続の研究において、価値論と物象化論を再解釈する本書の試みをさらに発展させ、マルクスの環境思想の固有性と優位性を『資本論』体系に即してより積極的に定式化していくことを期待したい。

 本書は、MEGAの新資料を拠り所にして、エコロジーが経済学批判の重要主題であり、マルクス固有の物質代謝概念を軸にした『資本論』研究の発展が重要であることを説得的に提示し、マルクス経済学の理論的課題に関して重要な示唆を与えた功績をもつと評価できる。

 村上会員の論文は、ケインジアン的視点から、景気変動に対して投資の役割が重要である点を考察した一連の研究である。

 第1論文では、期待の役割が景気循環を引き起こす点を解明し、第2論文では、2部門モデルに拡張することで、投資財部門が景気循環を引き起こす点を指摘した。

 第1論文では、景気変動を生み出す要因として、期待の役割に焦点を当てている。従来のポストケインズ派は、期待利潤率の代わりに実現利潤率で代替する傾向があり、期待利潤率の役割を明示的に考慮していなかった。本稿では、この点に着目し、期待利潤率に投資が依存すると定式化した。その結果、期待利潤率の変化が投資に強い影響を与えるならば、景気循環を生み出すこと、そして期待の修正速度が十分に早い場合に一意のリミットサイクルが存在することが明らかとなった。本研究は、ケインズの考えに忠実な定式化を行い、高度な数学を用いて立証している点で、非常に重要な研究である。

 第2論文では、マクロモデルを1部門モデルから、消費財と投資財の2部門モデルに展開し、景気循環の発生メカニズムを考察した。その結果、ケインジアン安定条件の成立に、景気循環の発生が依存することが明らかとなった。すなわち、景気循環がケインジアン安定条件が成立しないときに発生しうることを示した研究である。それとともに、投資財部門が、時期・量的にも、景気変動を引き起こす要因であることを示した。このような帰結は、2部門モデルにより初めて明らかにできることである。

 当然のことながら、景気循環には、様々な要因があることは言うまでもない。しかしながら、ケインズが指摘した点を、数学的により緻密に高度に展開し、再度光を当てることが出来たという点で、奨励賞に値する研究である。

2019年9月25日

第10回経済理論学会奨励賞選考委員会:坂口明義(委員長)、大野 隆、沖公祐、黒瀬一弘、佐藤拓也、大黒弘慈