第5回経済理論学会奨励賞

 第5回経済理論学会奨励賞選考委員会は本年度に4回の会合をおこない、慎重審議のうえ下記の2会員の著作が奨励賞を授けるにふさわしいと結論し、2014年10月24日に開催された本年度第2回の幹事会に、選考経過と選定理由を付してその旨を具申した。幹事会はそれを承認し、大野 隆(おおの・たかし)会員と 結城 剛志(ゆうき・つよし)会員(50音順)に本学会奨励賞を授けることを決定した。この選考結果は、翌10月25日に開かれた会員総会で小幡道昭選考委員長によって公表され、総会後引き続きおこなわれた授賞式で、賞状と副賞が代表幹事から受賞者に手渡された。

・大野隆会員の論文 ”Models of Competition between firms: Endogenous Market structure in the Kaleckian Model ”(Metroeconomica vol.64-1, 2013)

・結城剛志会員の著書 『労働証券論の歴史的位相 — 貨幣と市場をめぐるヴィジョン』(日本評論社 、2013年)

 授賞理由は以下のとおりである。

 大野論文は、標準的なカレツキアンモデルに、企業の「参入退出」に伴う、企業のマークアップ率の変化を組み入れる拡張を行ったものである。

 標準的なカレツキアンモデルでは、主流・非主流を問わない普通の経済理論同様の、利潤分配率の上昇 (労働分配率の低下) に成長率の上昇が伴う「利潤主導型成長」レジームのほかに、パラメータ条件によっては逆に、労働分配率の上昇 (利潤分配率の低下) に成長率の上昇が伴う「賃金主導型成長」レジームが存在することが示されている。そして、後者の可能性を検討することが、カレツキアンモデルの論者の特徴の一つになっている。

 本論文の意義は、たとえ標準的カレツキアンモデル通りの定式化だったとしても、企業数の増減によるマークアップ率の変化を考察に入れるだけで、「賃金主導型成長」は安定的解としては成立しなくなることを示したことにある。「賃金主導型成長」は独占度の高い市場構造の時代には成り立ったかもしれないが、資本参入が容易な競争的環境の時代には安定的ではなくなる可能性が示唆されたと言える。また、利子率が景気安定化方向に動く力が大きいならば、この効果は相殺できるかもしれないことも示された。

 以上のように、本論文は、「賃金主導型成長」論に対する批判、ないし条件の限定化として意義がある。グローバルな競争激化の現実や、そのなかでの金融政策のあり方が議論の焦点となっている今日、後続の活発な議論を引きおこすことが期待される論文である。

 モデルの展開については、定式化は明瞭で、煩雑な計算を正確にこなし、手堅い手順で自明でない結論をクリアに導いていることは評価される。比較静学分析もいろいろなパラメータについて丁寧に調べられている。

 選考過程では、根本的な問題点として次の二点が指摘された。(1) マクロ経済全体の外部からの企業の参入を扱いながら、それが設備投資に影響しない定式化になっている。(2) このモデルでの「利潤主導型レジーム」と「賃金主導型レジーム」は、共通のパラメータのもとでの複数均衡として併存するものなのに、あたかもパラメータの違いで起こるものと同様に、局所条件で場合分けして説明されている。また展開が不要に複雑で、より簡明に示すことができることも指摘された。 しかし委員会では、これらは後続の議論を豊富にするものと考え、重大な新しい論点を当該分野の手法のなで拓いた功績を重視して、奨励賞に値すると評価した。これを受けて多くの議論が生みだされることを期待したい。

 結城会員の著書は、長期にわたる論争史の検討を通じて、労働証券の理論と現実を包括的に再構築した労作である。貨幣・信用制度改革を通じて、労働を基準とした公平で望ましい市場経済の構築を目指す諸学説を広く「労働証券論」として規定し、マルクス (Karl Marx)、プルードン (Pierre Joseph Proudhon)、オウエン (Robert Owen)、ウォレン (Josiah Warren)、ペア (William Pare)、 グレイ (John Gray)、ゲゼル (Silvio Gesell) の議論を多層的に配置し、その理論的関係と歴史的意義を明らかにしている。

 本書の意義は以下の諸点にある。第1に、マルクスによる「労働貨幣論」という規定に反省を加え、考察対象を「労働証券論」として拡張した点である。これにより、従来の枠組では捉えきれなかった、市場社会主義、反市場の社会主義、地域通貨などを背景にもつ労働証券論の多面性が視野に収められている。

 第2に、労働証券をめぐる論争が、単に実践的な政策の是非をめぐるものに止まらず、貨幣と市場に関する理論問題として、独自に掘り下げられている点である。労働証券という観点から、市場と共同体ないし国家の役割、発行のベースとなる労働の評価をめぐる複雑労働の処理、証券という形態の背後に潜む貨幣論と信用論の関連といった理論問題に踏みこんだ考察が、この著作の特徴と なっている。

 第3に、労働証券というかたちでパースペクティブを広げることで、ユニークな論争史が展開されている点があげられる。本書に登場する論者は、必ずしも直接相互に批判を交わしているわけではない。その意味では、明示的な論争が存在するということはできない。ただ、フランス、イギリ ス、ドイツ、合衆国といった国際的な広がりと、一世紀以上にわたる長い時間のなかで、これらの論者が通底するテーマをめぐって多角的に影響しあってきた深層の論争史が、著者の労働証券の理解をベースに独自に描きだされている。

 第4に、労働証券論が包含する現代的諸問題に考察が及んでいる点である。これまでほとんど詳説されることのなかった英米の事例研究を参照することで、労働証券論の実践上の諸課題が明らかにされ、これを媒介に、たとえば、景気循環のなかで金属貨幣の限界を打破する手段として、早くから労働証券が注目されてきた点、労働証券論が二一世紀になって多様なかたちで族生した地域通貨を先取りする試みであった点など、過去の学説の研究を通じて現実を理解しようとする指向が随所にみられる。

 本書を通じて、先行研究で支配的であったマルクスの知見に基づく解釈が問いなおされ、一次史料調査に裏付けられた丹念な研究によって、労働証券論の歴史的位相と国際的な繋がりが明らかにされている。このような労働証券論に関する通史的・包括的理解を提示した研究は国内外を見渡してみても類例に乏しく、新たな研究の方向を指し示すものとして奨励賞に値すると評価できる。

経済理論学会代表幹事: 八木紀一郎 

経済理論学会 奨励賞 選考委員会: 

小幡道昭 (委員長)、姉歯暁、岩田勝雄 

遠山弘徳、松尾匡、若森章孝