第6回経済理論学会奨励賞

 今回の選考対象著作は, 『季刊 経済理論』掲載の12論文を含め合計14点であった。第6回経済理論学会奨励賞選考委員会は慎重審議の上, 下記の2会員の著作が奨励賞に値するという結論に至り, 2015年11月20日に開催された本年度第2回幹事会に, 選考経過と選定理由を付してその旨を報告した。幹事会はこれを承認し, 江原 慶会員と黒瀬一弘会員(50音順)に本学会奨励賞を授与することに決定した。この選考結果は, 翌11月21日に開かれた会員総会で八木代表幹事によって公表され, 総会後, 引き続きおこなわれた授賞式で, 賞状と副賞が代表幹事から受賞者に手渡された。

江原 慶会員の著作

(1)「複数生産条件下での市場の無規律性」,『季刊 経済理論』第49巻4号, 2013年。

(2)「恐慌の両極性----市場における恐慌の基礎」, 『季刊 経済理論』第51巻2号, 2014年。

黒瀬一弘会員の著作

“The dynamics of the labour market and income distribution in relation to the speed of demand saturation”, Structural Change and Economic Dynamics, 24, 2013.

選定理由

 江原会員の業績は, 新古典派の均衡的市場観に対置すべきマルクス経済学における市場の無規律性の問題を, 諸資本の競争過程のなかでとらえ直すことによって具体的, 現実的な恐慌分析に組み込もうと試みる点に, 最大の貢献がある。市場の無規律性の問題は, 宇野弘藏以来諸論者が強調してきたが, 従来はともすれば生産論を経て生産価格論の論理段階では消失してしまうかのように処理されるか, あるいは流通過程の不確定性による流通費用の問題に限定される傾向があった。これに対し江原会員は, 同一生産部門における複数の生産条件の併存と多層化にまで踏み込み, 意思決定主体としての個別諸資本の投資行動が直面する生産条件の有利・不利の認識の困難という点から投資選択に生じるブレが, 部門間の均衡的生産編成を破壊し, 恐慌にいたる過程を動態的に分析している点に, 理論的功績を認めることができる。

 第1論文では, 宇野原理論における市場の無規律性の展開が不十分であるとして, これを, 投資をめぐる競争の動態的過程として展開すべきことが主張される。具体的には, 生産条件が相違する2部門モデルを導入して, 個別諸資本の投資行動の基準が不確定となり, ひいては投資行動の無規律性として現れてくる諸相が解明される。これによって市場の無規律性は, 生産価格機構における個別諸資本の投資行動とその基準の問題として, 競争の機構論のなかで具体化される。これは宇野弘蔵や山口重克, 小幡道昭などが提起した不確定性・無規律性を含む市場像を, 市場生産価格論という場で設定し直し, より具体的な市場像を原理的に構築する野心的試みと評価できる。

 第2論文では, 第1論文をふまえて, 個別諸資本による投資条件の認識の困難から生じる投資のアンバランスが, 社会的生産・労働配分の不均衡をもたらし, 恐慌となって顕在化する諸相の解明が試みられる。その意味で第2論文は第1論文の拡張であるが, 同時に, 恐慌の原因を資本過剰による労賃騰貴に求める宇野恐慌論を, 市場の機能不全の点から理論的に補完する試みをなす。第2論文は, 宇野理論系の恐慌論を十分にふまえて立論しているだけでなく, 従来の資本過剰説対商品過剰説(過少消費説と部門間不均衡説)の対立をみすえつつ, しかし第Ⅰ部門の優先的発展といった表式論的恐慌論に与するのでもなく, 景気循環の具体的局面における個別諸資本の行動に着目して, 市場の機能不全から「部門間不均衡」を説明する点に, 理論的斬新さがある。

 江原会員の業績には未だ試論的な面もあり, とくに恐慌論の具体化や宇野恐慌論との論理的位置関係などなお未展開な点を残すが, 市場の無規律性という市場像を個別諸資本の投資行動に拡張して具体化し, さらにこれを基礎に独自の恐慌論を展開しようとする理論的スタンスは積極的に評価できる。今後の研究を期待したい。

 黒瀬会員の著作は, 主流派経済学のオルタナティブとして有力な理論装置の一つであるL. パシネッティの多部門垂直的統合・構造変化のモデルを拡張し, 雇用率・実質賃金上昇率・利潤シェアの動態を分析したものである。また, モデル拡張に際しては, 1980年代以降の, IT関連財をはじめとする消費需要の飽和が早いと考えられる財の登場と, 先進諸国経済の実質賃金上昇率の停滞という現実との対応も問題意識として述べられている。総じて, 黒瀬論文は主流派経済学が無視している現実的な要因をモデルに取り入れ, 主流派経済理論からは得られない結果を導いていると評価できる。

 論文では, 垂直的統合概念により導出される投入係数の行列式を用いて, 雇用率, 労働生産性上昇率および実質賃金上昇率を定義し, それらの変数の動態が分析される。モデルの特徴的な設定としては, 最終財需要(消費)係数の変化率についてはロジスティック関数を与え, 消費需要が飽和していく過程を描き, 一方それに反作用する要因として, プロダクト・イノベーションにより新しい製品が発明され, 最終消費財(部門)の数が増加していく過程が, ユール過程という確率過程に従う確率変数として表されている。ここでは, ユール分布の期待値(平均値)が指数関数で表される点をうまく利用し, 既存の垂直的統合・構造変化モデルに首尾よく接続されている。

 このようなモデルの設定の下で, シミュレーション(数値解析)によって消費需要が飽和する速度が早いケースと遅いケースの比較がなされる。その分析結果の主な内容は, 雇用率(の期待値)は消費需要の飽和が早いケースのほうがより高くなり, 労働生産性上昇率および実質賃金上昇率(の期待値)は消費需要の飽和が遅いケースのほうがより高くなる, というものである。これは若干モデル設定の異なる著者の先行研究においても得られた結果と同様であり, その理論的含意は, 自然失業率仮説(NAIRU)をはじめとして, 雇用率と実質賃金上昇率の正の相関を想定する主流派経済学の労働市場の捉え方に対する批判である。

 さらに論文では, 著者の先行研究では取り扱われていない利潤シェアの動態が分析される。その分析の主な結果は, 利潤シェアは消費需要の飽和が早いケースのほうが(特に早期の時点において)高くなり, と同時に, 消費需要の飽和速度にかかわりなく, 利潤シェアの水準は一定の値に収束していく, というものである。また, こうした傾向については, 生産性上昇が労働節約的か資本節約的かにかかわらず成立することも述べられている。

 なおモデルには表現上の不備や説明不足の点が若干見受けられるが, これらについては著者の更なる研鑽を期待することにし, 委員会としてはモデル拡張の主要な部分に関する顕著な独創性ならびに高度な数理的処理を要する挑戦的な試みを高く評価した。

経済理論学会代表幹事:八木紀一郎 

第6回経済理論学会奨励賞選考委員会: 

姉歯暁, 池田毅, 河村哲二, 鈴木和雄, 松尾匡, 若森章孝(委員長)